ひとひ


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思い込みを捨てる
「言われたとおりの生活をしていたら、私、痩せますか?」
先生に尋ねてみると、「痩せたいの? 何キロくらい?」と聞かれた。

その先生はアーユルヴェーダクリニックの先生で、私はそのクリニックに今年の一月から通っている。
通い始めたときは疲れが溜まっていて、仕事から家に帰ってくると、二階にあるリビングにまで上がる気力がなく、階段で一休みをしてからでないとリビングに上がることが出来なかった。
診察で指示されたことを少しずつ実践していくうちに、疲れやすさも少しずつ解消して、全体的には体調が上向いている。
絶好調ではないけれど、絶不調でもないという状態。
先生とお話をしたり、アドバイスをもらったりしているうちに、少し心や体が楽になるような気がする。調子が悪いからクリニックに行くのではなく、私にとっては調子が悪くならないように行く場所なのだ。

痩せますか? と質問したのには理由がある。
アーユルヴェーダでは人の体質を三つのドーシャに分けて考える。私の場合はカパ・ヴァーダ(カパとヴァータの複合型)で、本を読むと「外見が細い」と書いてある。
生まれたときは未熟児気味だったので、そのときは細かったが、それ以降は細かったことなどない。
一番重いときは今よりも十キロ以上重かったし、今だって細いとは言いがたい。むしろぽっちゃりさん。
私はカパ・ヴァータのはずだから、きちんとした生活をしていれば痩せるはず? と思って聞いてみたのだ。

私が「五キロくらい痩せたいです」と言うと、先生は「痩せるとしたらあと一〜二キロまでかな。それ以上痩せると逆に不安定になるよ。どうして痩せたいの?」と聞かれた。
「お洋服とか可愛いのあるし」と答えると、「モデルさんとかみんな細いもんね。でも、それって思い込みじゃない?」と言われた。
確かに、テレビに出ている女優さんやモデルさんの多くが細いから、『細い=かわいい』という刷り込みが出来ているのだと思う。
アーユルヴェーダでは、その人のドーシャバランスに合った体型がその人本来の体型なのだ。ふっくらとした体型のはずのカパタイプの人が無理に痩せようとしたら、ドーシャバランスを崩し体調が悪くなってしまう。
『細い=可愛い』というのも『本で書かれていたからこうなるはず』というのも、全て思い込みなのだ。自分にとって心地よく暮らせることが一番大切なのだ。

「それにね、女の人っていうのは本来丸いんですよ。男の人は案外、ふっくらしている女性のほうが好きだよ」と笑顔で言われた。
その言葉を信じますよ、わたしは。
| からだ と こころ | -| posted by のぶ
お休み
つねづね、えらいと思うのは、学生さんだ。
大学生くらいになれば、自分がしたくない勉強はせずに済むようになるが、小学生や中学生・高校生だと、朝から夕方まで自分がしたくもない勉強をしている。
学校に行け、とは言われても、学校に行ってえらいね、とはほとんどの人が言われない。

私は小学校から中学校にかけての9年間、一度も皆勤というのをしたことがない。
中学生のときは喘息の発作が出やすかったというのもあるが、一学期ごとに1〜3日ほど学校を休んでいた。
理由は「頭が痛い」。
頭がぼんやりと重い感じがするのだ。
熱を測っても熱はない。けれど、頭が痛いのだ。
布団に寝転がって、両親、兄が出かけていく音を聞いている。
しばらくして、完全に家族がいなくなると、少しずつ頭が重いのが取れていく。
そのままゴロゴロと横になったり、普段なら見られないNHKの教育番組を見たり、起き出して本や漫画を読んだり、小さいの頃ならお人形遊びをしていた。
誰もいない家の中で好きに過ごせる時間だった。勉強しなくてもいい、体育をしなくてもいい、仲たがいをしている友達のことを考えなくてもいい、好きなTVを見て、自分の好きなことだけを出来る時間。
ずる休み、ですね。
私にとっては、これが自分を保つための方法だったのだと、今になってみれば分かる。
ずる休みをするのは少し後ろめたくて、次の日に「からだ、大丈夫?」と声をかけられるとますます心苦しかったけれど、それでも少し休みを取らないとやっていけなかったのだと思う。

毎日重い荷物を持って学校に行く学生さん、本当にえらいと思う。
「あなた、ちゃんと学校に行っていなかったのだから、もう一度学校に行って勉強しなさい」って上のほうにいる誰かに言われても、私なら「ご遠慮しておきます」と丁重にお断りをする。
| 日常 | -| posted by のぶ
     
南桂子さんのことを知ったのは、四年前に読んだ『ku:nel』という雑誌でだった。
肖像写真が友達のAさんの雰囲気に似ていたのが、気になるきっかけだった。
(本当に余談だけれど、Aさんに似た雰囲気の人には度々出会う。)

南さんは版画家の夫と共にフランスで暮らしていた。
ku:nelの紙面にはエプロン姿のままで作品を製作する写真が載っている。この写真を見ていると、実際は違うのかもしれないけれど、アトリエではなく、ダイニングテーブルで作品を製作していたのでないかという気がしてくる。
ガスコンロにかけられた寸胴はチキンや野菜がたっぷりと入り、とろ火でじっくりと煮込まれている。ダイニングテーブルに道具やスケッチを広げ、一本一本、丁寧に板を削っていく。別の部屋からは夫が製作をしている音や、外からも街の賑やかさが微かに聞こえてくる。
そういう日常とともに作品をつくり続けていたのではないか、と。

私が見に行ったのはショッピングビルにある小さな美術館だった。同じフロアの別の部屋で合唱の練習をしていたらしく、発生練習の声が聞こえていた。
小さな展示フロアに並べられた南さんの作品は、私には居心地がよさそうにみえた。大きな美術館で展示をされていたら、なんだか落ち着かなかったかもしれない。
初めて実物で見る南さんの作品は、印刷されたもので見るよりも、一本一本の線が繊細だった。丁寧に、心をこめて板を削っているような気がした。

南さんの作品を見ると、すこし、淋しい気持ちになる。
その淋しさは泣き出したくなるような淋しさではなくて、ふと秋の空を見上げたときに、真夏とは違う空の色になってしまっていることに気づいてしまった、そんな感じなのだと思う。
| おでかけ | -| posted by のぶ
浸る
読書記録をつけてみたり、冷えとりやアーユルヴェーダのことについて書いてきたけれど、しばらくの間、自分の内側に篭って文章を書いてみようと思っている。

*

朝五時に起きて、オイルマッサージと半身浴と瞑想をして、ホットミルクを飲んで、天気がよければ洗濯物と布団を干して、自転車に乗って仕事に向かう。
昼休憩に一度家に帰ってきてご飯を食べたら仕事場に戻り、午後の仕事をして、二時四十五分になったら職場のみんなとコーヒーを飲みながら休憩をし、三時になったら仕事を再開して、五時になったら仕事を終えて家に帰る。
夕食の時間は日によって多少違うけれど、七時半までには食べ終えて、半身浴と瞑想をして、十時半までには寝る。
判で押したような毎日。何も考えなくても、毎日が過ぎ去ってしまう、穏やかな毎日。
波乱万丈な毎日よりも、こうやって心穏やかに過ごせる毎日がどれだけありがたいかは十分に分かっている。
けれども、自分の中が、少しずつ麻痺してしまっているようにも感じる。
以前なら美しいと感じられていたものが美しく感じられないような、そんな感じ。
毎日があっという間に過ぎ去ってしまうから、自分の中を覗き込んで、こうやって文章にする時間を持つことが必要なのではないかと思う。

というよりも、少し、感傷的な気持ちに浸りたいだけ。





| 日常 | -| posted by のぶ

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